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笹山弁護士の労働相談

その11

質問

 「年に数回、医療事故防止などのテーマで研修参加が義務付られています。しかし、研修開始時間は業務終了30分後です。研修時間は超過勤務が申請できますが、30分の待時間は超過勤務申請できないと言われたのですが、納得できません。」

line01

 

答え

 なるほど、難しい事例ですね。  

 結論としては、この30分間については労働時間であり、超過勤務申請の対象になります。

 超過勤務申請の対象となるかどうかは、問題になっている時間が、労働時間といえるかどうかで決まります。

Q5でも述べましたが、「労働時間」とは、「雇い主が雇い主の必要に応じて、労働者に求める行動に労働者が従事しなければならなかった時間」です。  この点について、裁判例は、労働時間を次のように定義しています。

「労基法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいう」(三菱重工業事件、最高裁平成12年3月9日判決)。

 そこで問題は、業務終了時から、研修開始までの30分間が、「雇い主の必要に応じて、労働者に求める行動に労働者が従事しなければならなかった時間」、あるいは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」といえるか、ということになります。

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  この点、問題の時間帯は、実際の業務に従事しているわけではなく、ただ待機しているだけなのだから、これは使用者の指揮命令下にあるとはいえないのではないか。

だとするとこの時間帯は、「休憩時間」なのではないか。

午前中の労働時間と、午後の労働時間の間にある、昼食を取るための「休憩時間」と同じと考えるべきではないか、と思われます。

 確かにこういう立論も成り立たないわけではありません。だから、私も難しい事例だと思うのです。

しかし、そもそも「労働時間」とはどんな時間なのかの原点に立ち返って考えてみたいのです。

 みなさんは、なぜ、自分の人生の中の貴重な時間を費やして病院で勤務しているのですか?生きるためですよね。

生きるためにはお金が必要だ。そのお金を稼ぐために自分の労働力を売って、病院からの指揮命令に従って働き、その対価として給料というお金をもらっている。任用であれ、雇用であれ、私たちが「働く」ということの本質はその点にあります。

 ここで重要なのは、「私たちは、一定の限られた時間で労働力を売っている」という本質をとらえることです。私たちは、給料をもらうために、一定の限られた時間だけ、使用者の指揮命令に服して、言われた作業をするということをしているのです。  ここでは時間が「一定の限られた」ものである、という点も重要です。

 そうでなければ、私たちは無限の時間、使用者からの指図に従わなければならないということになり、それでは、古代の奴隷、中世の徒弟とかわらなくなってしまうからです。

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さあ、以上の議論を踏まえれば、一定の限られた時間を超えれば、私たちは使用者から指図をされることはないし、何をしようと自由だ、ということがおわかりいただけるでしょう。

それが、「個人の尊厳」を最大の価値とし、人はみな平等、という日本国憲法の思想に基づく社会の正しい在り方です。

 そこで、この30分に立ち返ってもらいたいのです。私たちは、この30分、何をしていても自由な時間でしょうか?  

今回問題になっている時間帯は、通常の労働時間が終了した後に始まる研修時間を待つための待機時間です。

労働者としては、研修が開始されるまでただ待機しているよりありません。通常勤務が終了した後だけに疲労を回復させるため英気を養うということに活用されるのが通常でしょうし、所定の勤務時間終了後の30分の時間帯では、まとまって何かしようと思っても中途半端な時間です。

年に数回しかない臨時の出来事ですから、計画的にこの時間を利用して何かする(例えば編み物など)ということも困難でしょう。

 そうなると、実際問題としては、ただ30分じっとしていても仕方がないので、勤務に就いている人の仕事を手伝うとか、明日の準備をしておこうとか、結局は、勤務に就くことが多くなるはずです。

 この時間帯の性格と、そこから生まれる実態からすれば、労働者にとっては「何をしていても自由」というような性格の時間帯ということはできないでしょう。

逆の言い方をすれば、真実この時間帯が労働者にとって労働時間とはいえないというのであれば、使用者はこの時間帯について、労働者に指揮命令してはいけないし、労働者に労務を遂行させてはなりません。

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労働者が通常勤務の延長で働いていたら、「駄目です!あなたは今勤務する時間ではない。私たちはあなたの就労を受け取る権限のない時間帯です。止めてください!」と通告して、就労を拒否しなければなりません。

 それをしないということは、「働け」と明示的に指示しているのと同じです。

 こうした状況のことを、私たちの法の世界では「黙示の指揮命令」と言っています。アイコンタクトで、就労を指示しているという意味ですね。

 「何をしていても自由」という環境になく、研修のための待機として拘束されており、かつ、実際上は多くの場合に就労に従事しているという実態からみて、この時間帯は、「労働者は使用者の指揮命令下にある」と考えられるわけです。

 以上の理由から、私は、この時間帯は、労働時間である、と考えるのです。

  病院の職場に限ったことではありませんが、日本の労働者には、今回テーマになった、「私たちは、一定の限られた時間で労働力を売っている」という感覚を持っていない人が多いと思います。

仕事を遂行するためには、時間がいくらかかろうとやりあげる、というふうに仕事をとらえている。ですがそうした感覚が、無制限の長時間労働を産み、多くの過労死事件という悲劇を招いてきました。

 みなさんの職場はそれでなくとも、深夜勤という身体に負担のかかる勤務が求められています。「労働時間」として定められた時間を超えて作業を命じられるのは、超過勤務なのだ、という基本的な感覚を持つようにしてもらいたいと思います。

                          以 上

 

 

 

   

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