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笹山弁護士の労働相談

その4

質問

「4月採用の看護師です。上司から、『新人は半年間は見習いなんだから超過勤務手当はないし、自己研鑽のために、早く来て遅く帰るのが当たり前』と言われました。確かにすべてのことが、自分の勉強です。だから、自分には超過勤務申請するのは早いのかなとおもいます。でも、長時間勤務が辛くて、時々、辞めたいなと思います。私のこの感覚は非常識でしょうか?」

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答え

うわ〜、最悪。この上司の発言。
私がブラック企業の労働者から相談されたとき、「社長がよくこんなこと言うんです」と相談される内容とそっくりです。

都庁職病院支部のみなさんが勤務する職場でこんな発言が平然とまかり通っているとは、そのことのほうがオドロキです。

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 もちろん、あなたの感覚は、非常識ではありません。非常識なのは、上司の方の発言のほうです。

 まずみなさんに考えて欲しいのです。みなさんは、職場の上司に、あるいはみなさんに給与を支払う組織に、命も身体も、全てを預けているのですか?

いかなることでも、言われるがままに従うのですか?みなさんは上司に弟子入りして、上司の技術を年月をかけて伝承を受けようとしているのですか?

 もしこれらの疑問に対する答えが「Yes」だったら、私の次の質問はこうです。「今は、現代ですか?中世ですか?」

 今の時代は、生命と生活の全てを上層階級に握られている奴隷制の時代でも、親方の職人が弟子を全面的に支配し、技術を伝承していく徒弟制度が幅をきかせる時代でもありません。

 現代は、一人一人が尊厳を持ち、その尊厳が法的には最大の価値を持つとされる時代です(憲法第13条)。

私たちは、自分たち一人一人が生き抜くために、社会の一員としての役割を果たすために、働いています。

「働く」ということはそうした観点のものですから、時間を限定して、自分の身体の動き(労働力)を使用者に売っている、ということです。

ですから、私たちには、決められた時間以上に働く義務はありませんし、働けばその分の時間に対応する対価としての賃金・給与を支払うのは、使用者の当然の義務です。

 以上の法の立場からすれば、超過勤務をすれば、働いた時間に対応する給与としての超過勤務手当が発生するのは当然です。

早く来て働け、遅くまで働け、と上司が言うのであれば、その早く来た分と遅くまで働いた分は労働時間として把握される必要があります。

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 これは新人であるからとか、そういうことは一切関係がありません。

新人だろうが、時間を決めて「働く」ことを売っていることは、ベテランとなんらかわりがないからです。

 だから、あなたは、早く来て働いた分、遅くまで働いた分は労働時間である、超過勤務分については超過勤務手当を支払って下さい、と請求できる立場にあるし、そのように請求することは極めて正当なことです。

それが通らない職場の状況に辞めたくなるのは真っ当な感覚だと思います。

 なお、あなたのお話しの中には、「半年間は見習いだから」という上司の言葉があります。

見習い、とは法的には試用期間と言われるものです。この試用期間とは、労働契約が成立していることを前提に、万一当該職員のその職場での適性がないと考えられる場合に、その職員との労働契約を解約(解雇)することを使用者が留保して行う就労の期間のことをいいます。

このように、見習いとは言っても、試用期間中は既に労働契約が成立している状態です。

ですから、労働者としての権利は、試用期間を終了する以前であっても、試用期間が終了している一般の労働者と同等に主張することができます。

 あとは、あなたに言っておきたい。

 職場の雰囲気とか、輪を乱さないためには、超過勤務手当を請求しないというのも一つの選択でしょう。

私はそれを否定はしません。

だからといって辞めないでください。こんな職場でいいの?そういう問題意識は、同期の友人に、職場の同僚に、組合のみんなに、話をして下さい。

 せっかく誇りある、すばらしい仕事についたのです。辞めるなんてもったいない。その疑問や気持ちは、職場を変えることにぶつけて下さい。

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 こうしたことを言うと、今度は上司や使用者の方から、こんなふうに反論されそうですね。

 「新人は何事も勉強で、ひとつのことをするにも通常の職員より時間がかかる。そうして時間がかかることに対して給与が余計に発生するなんておかしい。そうした費用は誰が負担するのか。」

 私は、これに対してはまず、「それは使用者の方が負担してください。それで、何がおかしいのですか?」と言いたい。

新人を採用するということは、全く「使えない」人材を「使える」ように、時間と費用と労力をかけて育てることを意味しています。

 それが嫌なら新人など採用しなければよい。

しかし、それを繰り返していたら、新人は全く育たなくなってしまい、それでは社会としての持続性がなくなりますね。

ですから、私たちの職場は、新人を意欲的に採用して、彼らを育て、その職場の組織と社会を、持続的に発展可能なものにしていこうとしているのです。

 そうした観点に立ったとき、新人にたくさんの費用を投下するのは当たり前のことです。

 そうして新人にたくさんの費用をかけると、めぐりめぐっていいことがありますよ。

 例えば、私たち弁護士の世界。

 私たち弁護士は、司法試験に合格した後、「司法修習」という見習い期間で研修をして過ごします。従前は2年、私の時で1年半、現在も1年の研修期間があります。

 私が司法修習をした時代は、私たち司法修習生は国家公務員扱いで、国から給与が支給されていました。見習いの、実務的にはなんの役にも立っていない人間に、国が何百人分もの給与を支給していたのです。

 ですが、その投下費用は無駄だったのでしょうか?

 私たちは、「税金で食べさせてもらい、勉強させてもらった。

この恩義は、弁護士になってからの仕事でこの国の社会に生きている人たちに返さなければ」と決意して弁護士になりました。

だから私たち弁護士は、社会が必要としていると考えれば、経済的にペイするかしないかを問わず、その仕事に取り組むのです。

現在も多くの弁護士が、東日本大震災の被災者のみなさんの困窮を救援する活動に手弁当同然の状態で参加しています。

これは、弁護士としての使命を深く自覚しているからであると共に、私たちにとっては税金で育ててもらった恩返しでもあるのです。

 従前無報酬の状態であった研修医の労働条件が、この司法修習制度を参考にして改善されたのは有名な話です。

 余談になりますが、その本家本元である司法修習制度において、修習中に修習生に対して給与を支給する制度(給費制度)が、昨年(2011年)11月から廃止されて大きな問題になっています。

社会への使命感を持たない、経済的に裕福な者しか法律家になれないことにつながらないかと危惧しているところで、私たち弁護士は、給費制度の復活を求めて活動しています。

 今日のお話は、つくづく医療現場では、法の常識がまかりとおっていないこと、社会の未来を考えていないのではないかと思える状況があること、を考えさせられました。

医療現場の現在の「常識」は、本来的には「非常識」なんだ、そう理解してもらえるようにしていきたいものです。

                            以 上

   

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