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笹山弁護士の労働相談

その13

質問

 「退院する患者さんに、お薬を渡し忘れてしまいました。看護長に報告したところ、自分の時間で交通費自己負担で私に行くように言われました。確かに渡し忘れたのは、私の責任ですが、釈然としません。看護長の発言は法的に正当でしょうか。」

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答え

労働時間と、労働者の損害賠償の負担、ハラスメントにまたがる問題提起をするご質問と思います。
 結論としては、看護長の発言は法的に正当ではありません。薬を渡しに行くことは業務への従事ですから、それに要する時間は労働時間であり、それに要する経費は使用者負担が当然です。従って「自分の時間で交通費自己負担」というのは法的に誤った見解です。

 前回Q12で詳しくご案内したように、「労働時間」とは、「雇い主が雇い主の必要に応じて、労働者に求める行動に労働者が従事しなければならなかった時間」です。裁判例では、「労基法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいう」(三菱重工業事件、最高裁平成12年3月9日判決)、と定義されているとおりです。

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 医師の処方指示に基づいて処方された薬を患者さん宛に交付することは、まさに病院にとって事業として必要とすることであり、従業員、職員にとっては業務命令のもとで行わなければならない業務です。したがって、薬の交付に必要となる時間は、「雇い主の必要に応じて雇い主の求める行動に労働者が従事しなければならない時間」となりますから、労働時間です。

 労働者が労働契約や任用によって事業体、事業主の指示に基づいて就労する目的は、生活費を中心とした費用に宛てる金銭を稼ぎ出すことにあります。この目的からすれば、労働契約や任用の遂行にあたって持ち出しをすることは目的に反する行為です。そこで労働契約や任用にあたり、事業主が必要とする事業に関わる経費は特別の合意がない限り事業主負担とするのが契約や任用の含意として含まれています。

 患者さんの自宅まで薬を届けるということで交通費を要するのであれば、それは事業主の事業に必要な経費ですから、当該費用の負担をするのは事業主ということになります。

 ご質問で問題になっているのは、もともと病院で患者さんに渡すべきであったところ、職員自身のうっかりミスで、渡し忘れた、いわば自分で責任を取る必要があるから自分で責任とりなさい、という論理で来ているということよね。

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 しかしこの論理は通用しません。

 では、例えば宝石店で働く労働者が、うっかりミスでお客様からお預かりした何千万円とする宝飾品をうっかり壊してしまったら、労働者が自分で責任とって何千万円の費用を負担するのでしょうか?みなさんの職場で、皆さん自身のうっかりミスがあって、それが決定的要因ではないけれど、それも一つの原因として存在していて、患者さんが死亡してしまったりした場合、みなさんは、ご遺族に対し個人としてやはり何千万円もの賠償を負うのでしょうか?

 金額の多寡によって負担できたりできなかったりすることで、金額が少ないことによって負担が正当化されるのであれば、一貫しません。その場合、上記の宝石店の例、患者さんがお亡くなりになってしまった例についても、皆さん方自身が責任を取るのでなければ論理として通っていません。しかし、そんなことが非現実的であることは明らかです。

 たとえ労働者のミスが原因であったとしても、事業によって発生する経費は、事業主が負担する、というのが大原則です。だからこそ、事業主が自ら直接関知しないところでも損害が発生した場合に備えるために、保険制度があるのです。

 では、労働者がミスをした場合に労働者が費用を負担することは全くないのか、といえば、裁判例で次のように整理されています。
「労働契約の信義則上相当と認められる場合に、その限度で、使用者は労働者に対して損害賠償を請求できる」。

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 「信義則上相当として損害賠償が認められるかどうかは、使用者の事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、使用者は労働者に対し賠償を請求することができる。」茨城石炭商事事件(最高裁第一小法廷判決昭和51.7.8民集30巻7号689頁)。

 つまり労働者のミスの内容や程度、使用者がそのミスの予防のために行っていた措置、当該損害負担についての現実的可能性などを考えながら、一定程度労働者が負担することを使用者が求めることが出来る場合がある、ということになっているわけです。

 ご質問の事例の場合では、こうした薬の渡し忘れが度重なっており、それについての病院全体としての対処方法を協議確立して周知しているにもかかわらず、それに反して渡し忘れたという場合に、かかる交通費の総額を考慮して、一定の負担を考慮することがあり得る、という程度の話しと思われます。したがって、いきなり全額負担を求めるようなやり方は誤っているといえるでしょう。

 逆に、ご質問のような看護長の発言は、パワーハラスメントに該当しうるものです。これだけでパワハラと判断することはできませんが、ことと次第によっては、該当する場合があると思うのです。

 厚生労働省では、「職場のいじめ・嫌がらせ」「パワーハラスメント」が近年社会問題として顕在化してきていることを踏まえ、「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」という会議を発足させ、2011年7月から検討を進めました。

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そして、2012年1月30日、このワーキンググループが、円卓会議に向けて報告書をとりまとめて提出し、これを踏まえ、円卓会議は、3月15日に「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」をとりまとめています。

 このワーキンググループの報告書の中で、 職場のパワーハラスメントとは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」を言う、と定義されています。

 そして、同報告書は、パワハラについて、過去の裁判例などを踏まえ、次の6つの類型がある、ということで整理をしています。

 @身体的な攻撃(暴行・傷害)。A精神的な攻撃(脅迫・暴言等)。B人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)。C過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)。D過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)。E個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)。

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 上記の交通費自己負担で自分の時間で薬を渡してこい、というのは、Cの一類型になりうることだと私は考えます。業務上必要なことですが、明らかに不要なことについての負担を求められている、ということで「過大な要求」に分類できると考えるのです。

 もちろんパワハラは、問題の事実以外にも、職場の人間関係や、問題の事実以前の諸事実などを踏まえて総合的に判断されるもので、当該事実の内容だけでパワハラと決定できる場合はあまりないと思います。今回も、上記の看護長の発言だけでパワハラとは即断できません。

しかし、労働者がミスをしたら当然それは労働者自身がリカバーするものだという法規の考え方に反する雰囲気が当然視される職場環境が放置され、上記のような看護長の発言のような発言が繰り返されているような現状があれば、パワハラに該当しうるものになるのです。

 こうしてみると今回のご質問は、いくつかの面で法規にのっとった取り扱いがなされていないことを提起する内容です。労働法規に則した環境作りや仕事の仕方を意識して、職場作りを行って欲しいですね。

                             以 上    

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